《Side:Moon》
2月末のある日、黒須御月が寮の部屋にいるときのこと……ぐわぐわと強い地震のようなめまいと頭痛が襲ってきた……
それはよくあること、彼にとってもよくあること……彼にとって慣れるはずのない、慣れるわけのないよくあること
《黒須さん》
──この声は、あの時の、あの日の担任の声……
御月の鼓膜と脳にこびりつき消えない声の一つ
《知をひけらさんとすは痴をひけらかすことなのですよ。貴方は他の誰よりも結果として
頭が悪いことをしているのです。特進クラスに合格したとして、貴方はそこに通うほどのそれではなく
周りの誰よりもあなたは愚かなのです。皆に合わせることが出来ていないというのは致命的な痴です》
ぐわぐわとぐらつく三半規管、視界、世界
げらげらと幾重もの嘲笑の声が固い金属ボウルに豆をなだれ込ませるが如く
御月の頭蓋の中を打ち付け立つことも叶わなくなり床に崩れ落ちる
《貴方は致命的に人を見ることもできていませんから
いえ、貴方には世界が正しく見えていない
貴方は人の言った言葉をその人が言ったように聞き取ることが出来ず
書かれている文字を書いてあるように読み取ることすらも出来ない》
──正しく見えてない、見えないなら■■■も■■■ちゃんも御日も……
僕の存在も考えも……何もかも、もう分からないじゃないか……
どうして……僕にとってはそう見えているのに……
……確かに、文字が突然変わる事もあって……あって……あって……
焦点の定まらぬ目はぼたぼたと、とめどなく水漏れを起こし直る気配もなければ躰はがたがたと痙攣をし続ける
というのにその動きに支障をきたした故障した腕はといえば
ローテーブルの上の細いグラスにさされた、一輪のネモフィラのドライフラワーに伸ばされる
「助けて…… ■■■…… ■■■ちゃん…… 姉さん……」
グラスはドライフラワーと共に落ちて割れ、その近くの頓服薬も地面に落ち……
ネモフィラのなれの果ては、その縋る手によって乱雑にぐしゃりと崩れた
こんなものはただの良く起こる発作だ
先程名を呼んだもの以外には自らに慈悲を向けることもその反対も何もかも全てを御月は憎む
ドライフラワーを握るのと反対の手でどうにか頓服薬を開けて口に放り込んで噛み砕き、嚥下する
「助……、けて……」
──君は駆けつけるって、言ってくれたよね……? こういうときのことじゃないのは分かってるの
……ああ、もし一緒に住むのなら、この惨めな姿も隠せないんだろうな……
hr
《Side:Hazama》
アダムスを倒すことでワールドスワップを打ち消しにできるという
本当はアンジニティに堕ちぬためにはそうとでもしてしまいたかった……嗚呼けれども
彼がアンジニティのものであること……あったこと それも僕の憎しみを惑わせる……戦う意思が消えそうで……
彼を好きになってしまった事。それが僕の歯車を大きく狂わせた要因であることに違いはない
どんどん分からなくなっていく……僕が嘗て受けた苦しみ、消えない傷、それらから導き出した式が崩れていく……
自分が苦しいと感じなければいい、相手に嫌われないような存在に自分を変える
それらを否定し、それらへの憎しみを果たす為の式に狂いと迷いが生じていく……
……せめて彼に殺されたならば僕は僕のまま死ねるのかな?生きたまま永遠になれるのかな
もうわからない……わからなくなってしまったんだ……
彼に憎まれれば、僕を殺すための大義名分を作れば……僕が怪物で、彼はそれを倒す英雄で……そんなシナリオを……
彼以外に殺されるのは勿論嫌だ……けれども、彼に殺されるのも嫌……
あのネモフィラ畑で感じた僕の苦しみと悲しみ、切なさ
結局僕も彼に愛を求めてしまっているんだ……求めてしまえばそれは無償の愛などでは無い
けれどくれなくても怒らないし嫌いにもならない……彼になら殺されてもいいって思える
でも彼が嫌がることだったらそれは嫌……
こんなこと考える時点で僕は彼のことを愛していないんだろうな……でも彼の幸福が分からないの
僕を嫌って殺して、それで多くの人に彼が愛されるようになるならばそれは彼にとって幸福なの……?
それともこのまま……僕がその時そのままあるように振舞って……
……彼が望んでいるものは何?
【皆が皆大切な物を握ったままで居られるならそれが──】
……あぁ、これは彼の掲げる理想……現実はそうはいかない
大切な物は持っていられる数が限られれば、持っていようとすることで他の大切なものを失わせかねない
僕が消えない傷を負ったあのクラスでの出来事だって奴らは大切な物を守ろうとしていて
それを脅かす存在が大切なものを持ったままでいたいと思う僕だった
『お前が変わればよかったのに変わりたがらなかったお前の自業自得』
『ああなる前にもっと早くに逃げればよかったのに逃げなかったお前の自業自得』
『『全部お前がそうなって当然の因果応報なんだよ』』
──そういうお前らはどうなんだよ!!僕だけのせい?!巫山戯るな!!
──そもそも現実って何? ああ僕には現実が見えてない、本当の事が見えてないと?奴らの言ったように?!
なあ本当って何?!現実って何?!何なんだよそれは!!
僕はその言葉を断固否定するしし続けてきた、し続けてく
自業自得だというのを他者が否定し護ってくれる保証なんてない
そこに正しさもなにもいらなくて、僕がそうしないのが嫌だからそうする
それに僕が自業自得で罪があるとして……あいつらにだって罪はある
それ以前に罪があるかどうかはどうでも良くて、僕は僕に消えない傷を付け
僕にああした言葉を浴びせたあいつらを許さない、否定する
僕を助けられもしないのに助けられると思い込んでいたあの偽善者を許さない、否定する
あいつらが許されることを僕は許さない、否定する
どうせこの世は末端切り。彼奴らが結果として許され裁かれる事無く裁かれるとすれば僕だけだ
そうしたら末端切りのこの世全てを憎んで嘲笑って死ぬだけの話
……その憎しみを果たしたなら、多くの人が苦しんだならば彼は悲しむのかな
……彼がそれで悲しむのなら苦しむのなら僕はもうそれを思うと……だから好きになるべきじゃなかったんだ
……けれど、好きなのは本当の筈なんだ。僕の中のこの想い、感情はそうとしか思えないんだもの
──好きにならないように、頑張ってたはずなのにな
彼と離れていると寂しいよ、悲しいよ、苦しいよ
こっちではあの煙草が吸えない、苦しい、苦しい
……けれど彼がいないときのこの苦しさはなくなって欲しくないと思うんだ
耐えられるようになりたくないんだ。嫌なんだ
アダムスを倒せばこれも無かったことになるんだろう。無かったことになるのが嫌……とはいえない
それっぽっちってこと……なのかな。けれども、僕の手でアダムスを倒しにいくという選択肢……
彼のことを考える度に選べなくなっていくどころか侵略戦争を放棄することさえ思い浮かぶ
本当を言うと今からでもアンジニティ陣営に鞍替えできればいいのにとすら思う
……その方が余程、起こりえないことなんだろうなって
──ねえ、■■■。僕は昔人魚姫を外の視点から見ていて
大切な髪の毛を犠牲にして助けようとしたお姉さん達のそれを無碍にした
家族達を、仲間達を悲しませることなのにそれは美談なのか……と、弄れた事すら思っていた
……けれど漸く分かったの。僕が人魚姫の立場だったらば、僕は同じ選択を取るだろうと……
僕は君を殺してまで生きたくないもの
……だから僕は、姉さん達が大切なものを犠牲にして僕にくれたナイフで
姉さん達の想いを犠牲にしてでも、僕の胸を突き刺すんだ
「──君の為になら僕はアンジニティに堕ちても構わないよ」
hr
《Side:Moon》
《大丈夫? 御月くん……!! 私が今助けるわ!!》
「巫山戯るなこの偽善者!!」
御月は痙攣していたかと思えば突然立ち上がり
荷造りしていたダンボールを蹴飛ばしたり、あたりのものを投げ始めるも三分もせず再び倒れる
「……お前も僕を淘汰する側になるでしょ……ふふっあははっ!! ほんと、偽善者だよ……そういうところ
そうじゃなくても気持ち悪い…… 簡単に助けるとか認めるとか
ありふれてたら、簡単に取り回されたら、安っぽくて気持ち悪い」
けたけたと痙攣したように小刻みに御月は笑っていた
「僕は僕が価値があると思えるものしか要らない、二人でももうこんなに片方を粗末にしてしまっているのだから……」
──かつて美しく咲き誇っていた、ネモフィラのドライフラワーは粉々になって跡形も無くなっていた
もう、携帯端末を探す必要も無い。もう大丈夫なんだから──
漸く御月はふらふらと起き上がると『サプリ』を棚上から取り、それらを嚥下し
着替えてウィッグを被る──
ただただ、彼はそうして狂気に耽るばかりだ
何も気付かぬまま、盲目的なまま、彼が彼へ──そして彼女へと向けるそれの正体に気付かぬまま
──▒▒れば救われる。御月は自らがそうする事を拒絶している。
それを自らを殺すこと、死であると彼は定義しそうせぬ苦しみも幸福であるとすら思っているのだから
──ただそれだけの話
2月末のある日、黒須御月が寮の部屋にいるときのこと……ぐわぐわと強い地震のようなめまいと頭痛が襲ってきた……
それはよくあること、彼にとってもよくあること……彼にとって慣れるはずのない、慣れるわけのないよくあること
《黒須さん》
──この声は、あの時の、あの日の担任の声……
御月の鼓膜と脳にこびりつき消えない声の一つ
《知をひけらさんとすは痴をひけらかすことなのですよ。貴方は他の誰よりも結果として
頭が悪いことをしているのです。特進クラスに合格したとして、貴方はそこに通うほどのそれではなく
周りの誰よりもあなたは愚かなのです。皆に合わせることが出来ていないというのは致命的な痴です》
ぐわぐわとぐらつく三半規管、視界、世界
げらげらと幾重もの嘲笑の声が固い金属ボウルに豆をなだれ込ませるが如く
御月の頭蓋の中を打ち付け立つことも叶わなくなり床に崩れ落ちる
《貴方は致命的に人を見ることもできていませんから
いえ、貴方には世界が正しく見えていない
貴方は人の言った言葉をその人が言ったように聞き取ることが出来ず
書かれている文字を書いてあるように読み取ることすらも出来ない》
──正しく見えてない、見えないなら■■■も■■■ちゃんも御日も……
僕の存在も考えも……何もかも、もう分からないじゃないか……
どうして……僕にとってはそう見えているのに……
……確かに、文字が突然変わる事もあって……あって……あって……
焦点の定まらぬ目はぼたぼたと、とめどなく水漏れを起こし直る気配もなければ躰はがたがたと痙攣をし続ける
というのにその動きに支障をきたした故障した腕はといえば
ローテーブルの上の細いグラスにさされた、一輪のネモフィラのドライフラワーに伸ばされる
「助けて…… ■■■…… ■■■ちゃん…… 姉さん……」
グラスはドライフラワーと共に落ちて割れ、その近くの頓服薬も地面に落ち……
ネモフィラのなれの果ては、その縋る手によって乱雑にぐしゃりと崩れた
こんなものはただの良く起こる発作だ
先程名を呼んだもの以外には自らに慈悲を向けることもその反対も何もかも全てを御月は憎む
ドライフラワーを握るのと反対の手でどうにか頓服薬を開けて口に放り込んで噛み砕き、嚥下する
「助……、けて……」
──君は駆けつけるって、言ってくれたよね……? こういうときのことじゃないのは分かってるの
……ああ、もし一緒に住むのなら、この惨めな姿も隠せないんだろうな……
hr
《Side:Hazama》
アダムスを倒すことでワールドスワップを打ち消しにできるという
本当はアンジニティに堕ちぬためにはそうとでもしてしまいたかった……嗚呼けれども
彼がアンジニティのものであること……あったこと それも僕の憎しみを惑わせる……戦う意思が消えそうで……
彼を好きになってしまった事。それが僕の歯車を大きく狂わせた要因であることに違いはない
どんどん分からなくなっていく……僕が嘗て受けた苦しみ、消えない傷、それらから導き出した式が崩れていく……
自分が苦しいと感じなければいい、相手に嫌われないような存在に自分を変える
それらを否定し、それらへの憎しみを果たす為の式に狂いと迷いが生じていく……
……せめて彼に殺されたならば僕は僕のまま死ねるのかな?生きたまま永遠になれるのかな
もうわからない……わからなくなってしまったんだ……
彼に憎まれれば、僕を殺すための大義名分を作れば……僕が怪物で、彼はそれを倒す英雄で……そんなシナリオを……
彼以外に殺されるのは勿論嫌だ……けれども、彼に殺されるのも嫌……
あのネモフィラ畑で感じた僕の苦しみと悲しみ、切なさ
結局僕も彼に愛を求めてしまっているんだ……求めてしまえばそれは無償の愛などでは無い
けれどくれなくても怒らないし嫌いにもならない……彼になら殺されてもいいって思える
でも彼が嫌がることだったらそれは嫌……
こんなこと考える時点で僕は彼のことを愛していないんだろうな……でも彼の幸福が分からないの
僕を嫌って殺して、それで多くの人に彼が愛されるようになるならばそれは彼にとって幸福なの……?
それともこのまま……僕がその時そのままあるように振舞って……
……彼が望んでいるものは何?
【皆が皆大切な物を握ったままで居られるならそれが──】
……あぁ、これは彼の掲げる理想……現実はそうはいかない
大切な物は持っていられる数が限られれば、持っていようとすることで他の大切なものを失わせかねない
僕が消えない傷を負ったあのクラスでの出来事だって奴らは大切な物を守ろうとしていて
それを脅かす存在が大切なものを持ったままでいたいと思う僕だった
『お前が変わればよかったのに変わりたがらなかったお前の自業自得』
『ああなる前にもっと早くに逃げればよかったのに逃げなかったお前の自業自得』
『『全部お前がそうなって当然の因果応報なんだよ』』
──そういうお前らはどうなんだよ!!僕だけのせい?!巫山戯るな!!
──そもそも現実って何? ああ僕には現実が見えてない、本当の事が見えてないと?奴らの言ったように?!
なあ本当って何?!現実って何?!何なんだよそれは!!
僕はその言葉を断固否定するしし続けてきた、し続けてく
自業自得だというのを他者が否定し護ってくれる保証なんてない
そこに正しさもなにもいらなくて、僕がそうしないのが嫌だからそうする
それに僕が自業自得で罪があるとして……あいつらにだって罪はある
それ以前に罪があるかどうかはどうでも良くて、僕は僕に消えない傷を付け
僕にああした言葉を浴びせたあいつらを許さない、否定する
僕を助けられもしないのに助けられると思い込んでいたあの偽善者を許さない、否定する
あいつらが許されることを僕は許さない、否定する
どうせこの世は末端切り。彼奴らが結果として許され裁かれる事無く裁かれるとすれば僕だけだ
そうしたら末端切りのこの世全てを憎んで嘲笑って死ぬだけの話
……その憎しみを果たしたなら、多くの人が苦しんだならば彼は悲しむのかな
……彼がそれで悲しむのなら苦しむのなら僕はもうそれを思うと……だから好きになるべきじゃなかったんだ
……けれど、好きなのは本当の筈なんだ。僕の中のこの想い、感情はそうとしか思えないんだもの
──好きにならないように、頑張ってたはずなのにな
彼と離れていると寂しいよ、悲しいよ、苦しいよ
こっちではあの煙草が吸えない、苦しい、苦しい
……けれど彼がいないときのこの苦しさはなくなって欲しくないと思うんだ
耐えられるようになりたくないんだ。嫌なんだ
アダムスを倒せばこれも無かったことになるんだろう。無かったことになるのが嫌……とはいえない
それっぽっちってこと……なのかな。けれども、僕の手でアダムスを倒しにいくという選択肢……
彼のことを考える度に選べなくなっていくどころか侵略戦争を放棄することさえ思い浮かぶ
本当を言うと今からでもアンジニティ陣営に鞍替えできればいいのにとすら思う
……その方が余程、起こりえないことなんだろうなって
──ねえ、■■■。僕は昔人魚姫を外の視点から見ていて
大切な髪の毛を犠牲にして助けようとしたお姉さん達のそれを無碍にした
家族達を、仲間達を悲しませることなのにそれは美談なのか……と、弄れた事すら思っていた
……けれど漸く分かったの。僕が人魚姫の立場だったらば、僕は同じ選択を取るだろうと……
僕は君を殺してまで生きたくないもの
……だから僕は、姉さん達が大切なものを犠牲にして僕にくれたナイフで
姉さん達の想いを犠牲にしてでも、僕の胸を突き刺すんだ
「──君の為になら僕はアンジニティに堕ちても構わないよ」
hr
《Side:Moon》
《大丈夫? 御月くん……!! 私が今助けるわ!!》
「巫山戯るなこの偽善者!!」
御月は痙攣していたかと思えば突然立ち上がり
荷造りしていたダンボールを蹴飛ばしたり、あたりのものを投げ始めるも三分もせず再び倒れる
「……お前も僕を淘汰する側になるでしょ……ふふっあははっ!! ほんと、偽善者だよ……そういうところ
そうじゃなくても気持ち悪い…… 簡単に助けるとか認めるとか
ありふれてたら、簡単に取り回されたら、安っぽくて気持ち悪い」
けたけたと痙攣したように小刻みに御月は笑っていた
「僕は僕が価値があると思えるものしか要らない、二人でももうこんなに片方を粗末にしてしまっているのだから……」
──かつて美しく咲き誇っていた、ネモフィラのドライフラワーは粉々になって跡形も無くなっていた
もう、携帯端末を探す必要も無い。もう大丈夫なんだから──
漸く御月はふらふらと起き上がると『サプリ』を棚上から取り、それらを嚥下し
着替えてウィッグを被る──
ただただ、彼はそうして狂気に耽るばかりだ
何も気付かぬまま、盲目的なまま、彼が彼へ──そして彼女へと向けるそれの正体に気付かぬまま
──▒▒れば救われる。御月は自らがそうする事を拒絶している。
それを自らを殺すこと、死であると彼は定義しそうせぬ苦しみも幸福であるとすら思っているのだから
──ただそれだけの話